マリア=テレジア(Maria Theresia,1717-80)
"ウィキメディア・コモンズ"より
オーストリアの「女帝」。
元々、ハプスブルク家は女子の相続を認めていなかったが、彼女の父である神聖ローマ皇帝カール6世は男子相続者を残せず、無理矢理彼女を即位させた。
彼の死後、マリア=テレジアの即位に反対するフランス・プロイセンなどがオーストリア継承戦争(1740年-1748年)をけしかけ、新王率いるオーストリアは敗北を喫する。
しかし、王家の中でも比較的自由奔放に育った彼女は、その後国政の改革をしなやかにやってのけ、56年に始まった七年戦争では善戦、最終的に敗れはするものの、彼女の御陰でオーストリアは欧州世界で確固たる地位を得たと言えよう。
彼女は、その政治的手腕だけでなく、子どもを16人産んだことでもよく知られ(その中で特筆すべきはヨーゼフ2世とマリー=アントワネットである)、晩年の肖像を見ると、肝っ玉母さんへの見事な変貌振りが見てとれる。
同上